聖性ーマゾヒズムへ

 


深深や處かまわず牡丹かな



マゾヒズムを愉しむには
まづ思考の背骨が必要なのだと思ふ。
それは肉體の嗜好といふより
言葉にならない精神の切實な叫びに近い。

禁欲と奔放のあひだを何度も往復しながら、
人はそのたびに自分の肉體が
まだ此處に在ることを確かめ、
かろうじて安息と呼べる時間を
拾ひ集めてゐる果てしなき行為。

マゾヒズムは聖性と對極ではない。
深淵な聖性の中に
喜悦なる精神の迸りがあるのです。


-yui-







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