ナビ派への冷ややかな夢想
ナビ派の絵を見ていると少し居心地の悪い気分になる。
絵の中の女があらかじめこちらの視線を
予期しているような顔をしているからだ。
つまり見られることを職業としているわけでもないのに
見る者の欲望を正確に計算している。
しかもその計算のどこかが壊れていて
絵の中の女は自分のポーズを半ばあきれて
眺めているようもに見える。
ナビ派の絵にあるエロスは熱ではなく
温度の欠如として表れる。
たとえば胸の曲線や指先の白さが
まるで冷蔵庫の中の果物のように整っていて
そこに触れようとすると指がかえって冷たくなる。
絵の中の肉体は生きていないのに
観る者の呼吸だけが妙に速くなる。
観る者の呼吸だけが妙に速くなる。
おそらく彼らの絵が美しいのは、その“ずれ”にこそある。
すべてが完璧に構成されすぎていて
ほんの少しの誤差が、見る者の心にざらりとした感触を残す。
ナビ派のエロティシズムは肉体よりも
その肉体を包む沈黙のほうに宿っているのだと思う。
Photo:Catalogue of 'The Nabis at the Musee d'Orsay'
Photo:Catalogue of 'The Nabis at the Musee d'Orsay'

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