唯々佇む場所へーSとM
ひとにしられぬ
たのしみの
ふかきはやしを
たれかしる
島崎藤村『山精』より
*
マゾヒズム・サディズムの関係性は
ひとつの言葉にはできない
アンヴィバレントな世界だ。
アンヴィバレントな世界だ。
性慾とは切り離せないが
あまりにも精神性に依存している欲望である。
だからひとりひとり理由も望む行為も違う。
あまりにも精神性に依存している欲望である。
だからひとりひとり理由も望む行為も違う。
云えることは唯淫することが
目的ではないということだ。
目的ではないということだ。
皆、みえない何かを探している。
そして修羅である。
嬌声と笑顔、痛みと悦び、加虐と寵愛、
それらで精神が満たされるが、
すぐに喉が渇くか如く
互いの心と身体は惹きあう。
互いの心と身体は惹きあう。
あまりに強すぎる絆であるがゆえに
修羅なのだ。
修羅なのだ。
美しすぎる修羅。
年齢を重ねて佇む場所が欲しいと思うのに
深く突き刺さるサディズムは
そうはさせてくれない。
そうはさせてくれない。
そしてあなたの心身が望む
深き歓びを探り
深き歓びを探り
ふたたび霧の中へ進む。
-sayoko-

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