遠い日

 


芙蓉散り我であり我でなしとて


二十年前の姿

二十年の歳月というものは
物理的な時計の針の上では実に軽々しい。
私の内なる劇場において緩慢な解剖台の上に
横たえられた時間そのものであった。
そしてその頃すでに残酷な芸術に
魅入られていた。
なぜか自身の感受性はつねに
女性的な線を描いていると
真なる女性から云われていた。
おそらくは内側に宿す女の幻影が
表出したのか。

潜むサディズムはけっして
暴力の衝動ではなかった。
それは傷口のかたちに
宿る秩序を見いだす、
美への信仰。
私は長いあいだその微かな狂気を
まるで宝石のように胸の奥に
隠し持ちつつ。

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