スキップしてメイン コンテンツに移動
櫻貝
大寒や砂まじる櫻貝の性
*
マゾヒストという存在ほど
実は肉体の歓びから
遠ざかった生きものはいない。
その欲望は血や皮膚や疼痛の彼方にある
抽象的な聖域を希求する。
それは快楽の形式を借りながら
快楽そのものを裏切る儀式である。
痛みは官能の入口ではなく
むしろ観念の扉である。
そこでは肉体は供犠の器となり
意識は冷ややかにその演出を眺めている。
つまりマゾヒストは「感じる者」ではなく
「観る者」なのだ。
その視線の冷たさこそ
凡庸な性欲の領域から遠ざける。
マゾヒズムはエロスの腐食ではなくその蒸留。
肉体の歓びが尽きたあとに
なお残る一滴の精神の美学。
そこに倒錯と呼ばれるものの
真の純粋さが宿っている。
-sayokoー
コメント
コメントを投稿