光の秩序と混沌
写真は美しいものなのだろうか。
あるいは、美しくなければ藝術とは
呼べないのだろうか。
写真を撮るときにそんなことを考える。
光溢れる午後白い花を一輪撮る。
出来上がった写真は、たしかに美しい。
けれども私はその美しさに
ほんの少しだけ不安を覚える。
美しく撮った。
それだけでよいのだろうかと。
スーザン・ソンタグは、
写真について写真機が世界を
美化することに成功しすぎたため
いつしか現実ではなく写真のほうが
美しいものの基準になってしまった、
と書いている。
これは、少し怖いことだと思う。
写真は現実から美しい部分を取り出す。
取り出された美しさが、
現実を見るための物差しになってしまう。
だから、
私はときどき画面を汚したくなる。
傷を残す。
構図をずらす。
粒子を粗くする。
光を濁らせる。
美しい写真をつくるために
画面を美しく整えはしない。
むしろ画面を汚すことによって
美しいものの輪郭をもう一度浮かび上がらせる。
醜いものを撮りたいということとは違う。
美しいものには
それだけでは見えない部分があると思うのだ。
世界には秩序がある。
同時に秩序からこぼれ落ちるものもある。
歪んだもの
汚濁したもの
荒れた色彩
混沌、暗闇
その悪しきものが
光が光として感じるための要素。
だから私は写真の画面を少し汚す。
汚すことで美しさを壊したいのではない。
美しいが美しいという表現だけなら
わたしは写真から去るだろう。

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